耳触りの良い言葉は誰のため?

ちはやふるより

言ってほしい言葉をくれる人間に 人は簡単に操作されるよ そんな簡単な人間になるな - ちはやふる | アル

ちはやふるのコマ投稿です。この作品のコマは出版社や作者の方に許可を頂いているので誰でも自由に投稿できます。

今はインターネットによるSNSが盛んとなり、身近な人より遠くの人と関わることも増えてきています。

それによって、共通の趣味の人と話が出来たり、今や結婚などの人生に関わる出来事もSNSがきっかけであることも珍しくなく、新しいコミュニケーションとして受け入れられています。

そんな中、自分の悩みや問題などをインターネットで話すこともよくあり、身近な人では話せないことや、目に見えないからこそ話しやすいことなど理由は様々です。僕自身も自分が抱えているものを吐き出すことができる場所は必要だと感じています。

しかし、そこに落とし穴が存在することもまた、知らなければいけません。

人は自分自身を「肯定」してもらいたいものです。
悩みや問題が話せない理由の中には
そのことを「否定」されるのではないかという恐怖が存在することも珍しくありません。

例えば仕事で失敗して落ち込んでいるという悩みに対して、
「そんな些細なことで落ち込むなよ」
などと言われてしまうと、話を聞いた人からすれば些細なことかもしれませんが、話した本人にとってはとても大きいことを「否定」され、もう話したい気持ちは無くなってしまいます。

そんな時に、落ち込んでいることを受け止めて「肯定」されると安心感を得ることができます。
そのことは大事なことである反面、ただただ肯定されることだけを繰り返すとどうなるでしょうか?

仕事で失敗した⇒大丈夫「肯定」⇒また失敗した⇒そんな時もある「肯定」⇒また失敗…

この繰り返しが予想されます。
さらにこの肯定には中身がありません。
ただ一時的な安心だけです。
それでも人は自分にとって、都合のいい言葉に居心地の良さを感じ、そこから依存が起きることだってあります。

インターネットの世界の場合だと、目に見えないゆえに、言葉は実際に合うよりも強くなります。

そんな中、もしこの肯定の言葉の先に悪意があったらどうでしょう。
それは最悪の場合、事件へと発展することもあり、実際に起きています。

改めて、考えてみましょう。
僕たちはインターネットの莫大な情報から好きな言葉を選択することができます。SNS上の付き合いもまた、現実より選択しやすいです。
しかし自分にとって都合が良いことばかりの選択が、本当に自分のためになるのか、このインターネットの世界特有の付き合い方を常に考える必要があると僕は思います。

※このコマはマンガサイト、アル様から利用しています。

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興味が

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