自分が少しでもできる事を考えてみる

映画「189」より引用

一昨日、仕事場の方に勧められて「189」という映画を見に行ってきました。

自分自身、仕事で児童と関わることがあるのですが、この映画を見て衝撃を受けました。

虐待問題が昨今問題視されているが、なぜ減るどころか増えていくのか。

・実際に関わっている児童相談所から見た問題、(人手不足や経験者が育たない等)

・法律では救えない問題

・社会全体が児童相談所などに責任を押し付けているだけでしかない問題

・被害児童に取り巻く家庭問題

・被害児童以外にもDVなど複雑な状況により従わなければならなくなった母親

・問題とされている人間(虐待をしている加害者)にもそうなってしまった成育歴(人生)があったこと

・そのような問題が複雑に絡まり、一つの視点だけでは解決は難しい状況であること

この映画を通じて、色んな問題提起が含まれていました。

正直途中まで見るのがしんどく感じることが多々ありましたが、考えさせられることができた良い映画でした。

この映画でもありましたが、児童虐待のニュースがあるたびに

児童相談所や学校、加害者などを責める声が上がります。

批判したくなる気持ちが湧き出るのは当然だと思う反面、残念だと感じたのは

批判の先、つまり「だったら自分はこの問題に対して何ができるか」がありませんでした。

このことを感じた時、僕は好きなアニメのセリフを思い出します。

タチが悪いのは、批判だけして自分は何もしない人間だ」

まさに、今の状況を言い表しているように感じており、この言葉は自分自身の戒めとしても心に刻むようにしています。

他にもこの複雑な問題で思い出されるのは

「一は全、全は一」

という言葉です。

加害者の生い立ちから、母親へのDV問題、児童虐待、取り巻く社会など

複雑な問題を「」とすると、そこに至るまでの一つ一つの問題「」が重なり合って問題が形成されているように感じます。

こういう風に考えてみると「一」の問題が少しでも軽くなったなら、もしかしたら「全」の問題自体が少しずつ変わっていくかもしれないです。

もし加害者の生い立ちが違ったら、母親が誰かに助けを求めれたら、周りが子どものSOSに気づけたら、社会が子どもを守るために動いたら

その一つ一つの問題に小さな変化が起きた時、何かが変わるかもしれません。

そのために一人一人ができること。

それはまず「児童虐待」という問題が存在すること・それは身近であること

その問題を認識し、身近に感じることから始まるのではないでしょうか。

一人で抱えるのはとても難しい問題でも、多くの人が問題を意識し、そこから「全」へ変わる可能性を信じて。

そのために自分ができること。まずは問題を知ることをしていただければと思います。

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