人を下げる笑いはユーモアではない

あたしンちより

今回はあたしンちより「ユズ、男同士」

朝寝坊して遅刻しそうになるユズヒコ。その途中で友達のフジノと合流するも、今日の一限目は遅刻した人に当てる先生だったことから、お互いに当てられたくないので妨害しながら登校します。しかし教室の前で騒がしくしてしまい、結局二人そろって怒られることになりました。

その後二人そろって廊下に立たされるも、廊下に立っている途中でフジノが鼻血を出してしまいます。

鼻血はなかなか止まらず、次の授業の時も出ていたのですが、次の英語の授業時に鼻血のことをおかしく英語の先生は指摘します。

周りは笑うものの、当事者のフジノはどんどんその場に居づらくなってしまいます。そのやり取りに怒りを覚えるユズヒコ。

結局、フジノは保健室で休むことを選ぶのですが、ユズヒコはそんなフジノに付き添います。

「あいつ、くだらねぇよな」

とフジノと話すのですが、そんなユズヒコに対して、

フジノは自分の鼻血を顔につけます。

そんなフジノに怒りながらも、先ほどの雰囲気から少し明るくなっていきました。

場を明るくさせるためにユーモアを使うのはよくあることですが

この英語の先生の場合だと、はたしてユーモアと言えるのだろうかと言うのは正直疑問です。

誰かを下げることによって生まれる笑いとは、最終的には誰かが必ず傷つくのが前提になっているように感じます。

そして、今回のようなユズヒコのように不快に感じる人もいるでしょう。

お笑いの話になどでも、よく問題になるのは誰かが傷ついたり不快になるようなことが起きた時かと思います。

もちろん、それが持ち味の方もおられますし、そのような人の話だと実は見えないところですでに打ち合わせがあったり、フォローをしていたりとしたこともあったりするそうです。

ある意味、その打ち合わせやフォローも含めてのユーモアでしたら、それは一つの形かもしれません。

あと、ユーモアには「関係性」も係わってきます。

今回の場合だと先生と生徒と言った関係だと、生徒側が弱い立場になるので反論などは当然しにくいでしょう。

これでは一方的になってしまい、立場が上の人のみでなりたつユーモアかと思います。

それを考えてみると

ユズヒコとフジノの関係性は友達であり対等なので

最後にフジノが顔に鼻血を付けるという行為は、フジノなりのユーモアであり、友達同士だからこそできるユーモアでもあったかと思います。

ユーモアはコミュニケーションのおいて大切ではある反面、関係性なども含めて考えていく必要があるかと思います。

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