ペルソナとシャドー×マンガ

今日は先ほど17LIVEよりLIVE配信をして
ペルソナとシャドー×マンガについてを話しました。

ペルソナとシャドーとはユング心理学の原型論から用いられたもので、簡単に言えば
ペルソナとは社会で生きていくために外から見えている仮面のようなもので、シャドーとはその仮面をかぶっている際に出せていない部分を指します。

例えば、職場で上司に対して機嫌を損ねないために順応に指示に従っています。しかしその反面上司に対しての不満を抱えているとしたら、順応に「見えている」部分をペルソナ、その「内なる」不満はシャドーとなります。

不満を上司にぶつけてしまうと職場では居づらくなってしまいますので、出すことは難しいでしょう。それと同時に上司に対して合わせていかないといけない部分もあります。この関係は対となっており、上司と合わせれば合わせるほど、心の中で不満が溜まっていく…しかし不満を表面に出すのは社会で生きていくために抑えなければならず、心の奥にどんどん押し込まれていきます。

この奥底に押し込まれたものがシャドーでもあり、そのエネルギーはマグマのようにとても強いものでもあります。
しかしこのシャドーは突然何かきっかけがあった時、心の表面に現れたりして、普段見せない部分が出てきます。
よく、ニュースであの人がこんなことをするなんて信じられないという言葉を耳にしますが、このペルソナとシャドーの関係も要因にあり、奥底にあった誰にも見せていないシャドーが出てきたのかもしれません。

このペルソナとシャドーの関係ですが、実はマンガでもよく見られる描写なのです。
二つの例があるのですが
1つはドラゴンボールの神様とピッコロの関係です。
この二人はもともと同一人物だったのですが、ある時、神様が先代の神様から、心の奥にある悪の心を見抜かれて、神様になれずにいたとき、その心の奥の悪の心を自分から切り離します。そうして次の神様となったのですが、その切り離された悪の心はピッコロ大魔王となり世界征服を行うほどの悪党へとなっていたのです。そのピッコロ大魔王は主人公によって倒されましたが、死に際に息子を生み出して2代目のピッコロが生まれます。そのピッコロは神様よりものちのち強くなって世界征服をたくらむのですが、主人公によって阻まれます。
しかし2代目ピッコロは先代と少し違い、のちのち地球に侵略する宇宙人に対抗するために、潜在能力のある主人公の息子を戦士として育てます。そして宇宙人との戦いの際にその息子がピンチになった時、自らの身を挺して守り、力尽きるのです。
その姿を見た神様は「最後の最後でピッコロは神である私を超えた。嬉しいぞ」と話し、もともと一人の存在だった神様もまた力尽きました。

この心の奥底にあった悪の心(シャドー)はマグマのように強いエネルギーを持っており、実際にピッコロは神様より強くなります。しかしその反面、ピッコロ(シャドー)自体は心もまた成長し、自らを犠牲にして息子を守るほどまでとなりました。

その後、もともと一人の存在だったものが二つに分離することによって、力を大きく失っていたことが判明します。
これはペルソナとシャドーでも同じことで、シャドーの部分を認められずになかったことのように、切り離したりしてしまうと、もともとあったエネルギーもなくなってしまい、心の奥底が空洞となってしまいます。
このことからシャドーはけっして不必要な存在ではないということが分かります。

ではシャドーとはどのように関わるといいのか、その一つは統合です。
ここでもう一つのマンガのお話をします。

るろうに剣心というマンガで、主人公緋村剣心は明治維新の際に新しい時代を切り開くために人斬り抜刀斎として多くの人間を殺めてきました。そして明治時代となり、人斬りから不殺(ころさず)を誓い、多くの人を助けてきます。
しかしある時、人斬り抜刀斎の頃の恨みをもつ集団から大切な人を殺されてしまいます。その時に人を斬ってきた報いと感じた剣心は戦うことをやめて、落ちぶれた人間が集まる集落に身を落とします。仲間からは敵討ちをしようと何度も誘われるも、疲れたの一言で立ち上がることもしません。

この緋村剣心と人斬り抜刀斎の関係もまたペルソナとシャドーであらわされます。今回の場合は人斬り抜刀斎という過去は今の緋村剣心にとって、償うための過去でもあります。これはある意味認めたくない部分や否定したい部分とも見れます。
このように認めたくない、否定したいといった過去もまた、シャドーとして現れると僕は思っています。

しかし立ち上がることもしない緋村剣心でしたが、ある時、人斬り抜刀斎に恨みを持っている人間が街で暴れている事件が起こります。その時に一人の少女が「助けてください」と泣きながら剣心に頼みます。最初は動けずにいた剣心でしたが、なぜかその時の少女の言葉が耳から離れません。疲れたはずなのに、なぜか捨てきれない想いがあったことに気づきます。
それは目の前の人を助けること。
彼は人斬り抜刀斎であった時も、緋村剣心として生きている今でも、その「目の前の人を助けたい」思いが根底にあったということに気づきます。
この時、どちらにもあった根底の想いが重なって彼は再び立ち上がることとなりました。

このように認めたくないと思っていたシャドーの中に、自分と重なる思いがあったことに気づいたとき、シャドーは統合されていき、自分の力へと変わるかと思います。

自分自身を例にあげると、僕は学生や20代の頃はマンガやゲームが好きで、ずっと読んでたり遊んでたりしてました。しかし転職などをしなければならなかったとき、遊んでないでもっと勉強とかしてればよかったと、マンガやゲームで遊んでいた過去が嫌になり後悔したことがあります。
それでもついつい遊んでしまう自分がいて、また嫌になってしまうこともあったのですが、ある時、心理学を学んでいて、その学問をマンガのシーンに置き換えてみると、これは分かりやすいということに気づきました。
そこから今まで後悔していた過去が知識やエネルギーと変わって、今のような説明ができるようになりました。

このように誰もがもっているペルソナとシャドーをうまく付き合っていくことが人生の豊かさにもつながるかと思います。

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